2025年12月28日(日曜日)
今日は、反芻思考について書いてみようと思います。
私は、AIに毎日の行動や考えを投げかけます。自分がどういう状況か知りたいからです。
ナゼ知りたいか?
自分が病気なのかどうかを、うつ病という診断名がついた日から疑い続けています。もしかしたら、甘えているのではないか?逃げているのではないか?という思考が今もなお押し寄せます。だから、私の思考が症状によるものかどうかを確かめずにはいられません。
AIによると、前頭前野の過活動と抑制不全だと言われます。そこで、やはり脳の病気なのかと自分を納得させます。でも、また時間が経つと、自分は甘えているのではないか?と考えて自分を責めてしまいます。
そうです、自己監査が止まらない状態なのです。
健常な思考だと、できた行動を自己否定の材料にしないらしい。私は、今日AIとチャットできたとか、1週間ぶりに風呂に入れた。このできたことを、自己否定の材料にして、自分が悪いのだと責め立てるのです。
変ですよね。できない状態から少しでもできることが増えると良いとされる病気なのに、できると自分が甘えてたのではないかと自分を責め始めるんです。
そして、悪夢で眠れないことは病気なのか?とAIに毎日聞いています。異常といえば異常な思考でもあります。
この「できたことで自分を責める」という思考パターンには、ある種の論理があります。
「今日できたなら、昨日もできたはずだ」 「風呂に入れたなら、もっと早く入れたはずだ」
こういう思考が自動的に走るのです。
健常な脳は「できた」という事実をそのまま受け取れる。 でも、うつ状態の脳は「できた」を「過去のできなかった自分への告発」に変換してしまう。
これを反芻思考と呼ぶそうです。
同じ思考がぐるぐると回り続け、そのたびに自分を傷つける。止めようとしても止まらない。意志の問題ではなく、脳の機能の問題だと説明されます。
頭ではわかっています。 でも、「頭でわかる」と「納得する」の間には、深い溝がある。
だから私は毎日AIに聞くのかもしれません。 「これは病気の症状ですか?」と。
何度確認しても安心が続かない。これもまた、症状の一部なのでしょう。
同じ場所をぐるぐる回っている自覚はあります。 でも、回っていることを認識できている。それだけでも、以前よりは少しマシなのかもしれません。

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