適応障害・うつ病

私が「行動記録」を続ける理由。悪夢と不安の中でも「私」を見失わないために

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はじめに

悪夢で目覚めた朝。気持ちの悪い夢の余韻が残って、現実に戻るまでに時間がかかる。あるいは、何をしているわけでもない昼下がりに、ふと襲ってくる不安の波。心臓がドクドクと鳴り、「今の自分、一体どうなっているんだろう?」と混乱してしまう。

そんな瞬間が続くと、自分という存在がぼんやりと霞んで見えてくる。今何を感じているのか、何をしたいのか、どうすれば楽になるのか。全てが曖昧で、まるで自分を見失ってしまったような気持ちになる。

うつ病の治療を始めてから、こんな日々が続いていた私が「何かできることはないか」と模索していた時に出会ったのが「行動記録」でした。特別なことは何もしていません。劇的に何かが変わるわけでもない。でも、この小さな習慣を続けることで得られた「たった一つの理由」について、今日はお話ししたいと思います。

私がやっている「ざっくり行動記録」のつけ方

まず最初にお伝えしたいのは、私がやっている行動記録は本当にシンプルだということです。特別なアプリも使わないし、きれいなノートを用意する必要もありません。手帳の片隅でも、スマホのメモ帳でも、何でも構いません。

私が記録している項目は、たったこれだけです。

日付と時間 いつ、その行動をしたかを大まかに記録します。「8時頃」「昼過ぎ」といった感じで、正確な時間でなくても大丈夫。

今日の気分 これも難しく考えず、数字(1から5)といった簡単に表現したりしています。

やったこと ここが一番大切で、一番気楽な部分でもあります。本当に些細なことでも、全部書きます。

  • 起きた
  • ご飯を食べた
  • 薬を飲んだ
  • 5分だけ散歩した
  • 呼吸を意識してみた
  • テレビを見た
  • ぼーっと考え事をした
  • シャワーを浴びた

「これって記録するほどのことか?」と思うようなことでも、私にとっては立派な「行動」です。

気づき・メモ(気が向いた時だけ) その行動や気分から感じたこと、考えたことを一言二言。「散歩したら少し頭がすっきりした」「今日はなんとなく体が重い感じ」など、本当に短いメモです。

大切なのは、完璧を目指さないこと。毎日書けなくても気にしない。細かいことは書かずに、ざっくりで良い。ネガティブなことを書いても全然OK。ただ書くだけです。

なぜ私が行動記録を続けるのか?悪夢と不安の中で得られた小さな収穫

「私」を客観的に見つめる視点が生まれる

悪夢で目覚めた朝や、不安で心がざわつく時、以前の私は感情に飲み込まれてしまうことが多かったのです。「また嫌な夢を見た」「また不安になってる」「私ってダメだな」という思考のループに入り込んでしまって、抜け出すのに時間がかかっていました。

いったい自分はどうなってしまったんだ?自分は何処にいるんだ?って疑問を持ちました。

でも、瞑想や行動記録をつけるようになってから、少し変化がありました。「あ、今これをやっているな」「今、こういう気持ちなんだな」と、まるで少し離れた場所から自分を眺めるような視点が生まれたのです。

感情に巻き込まれる前に、「今の状態」を記録するという行為が、自分と感情の間に小さな隙間を作ってくれる。その隙間があることで、少しだけ冷静になれるのです。

記録を続けていると、思いがけない発見もありました。「意外とこんなこともできていた」「この行動の後、少し気分が上がった気がする」といった、見過ごしていた小さな変化に気づけるようになったのです。

また、自分の行動パターンや、何が気分に影響するかも少しずつ分かってきました。「悪夢の朝は、特に気分が重くなりやすい」「この時間帯に深呼吸をすると落ち着く」など、自分なりの傾向が見えてきたのです。

自分を責めすぎないためのツール

うつ病と向き合っていると、「今日も何もできなかった」「こんなことすらできない自分はダメだ」という自己批判の声が強くなることがあります。特に調子の悪い日は、この声が本当にうるさくて、自分をどんどん追い詰めてしまいます。

そんな時、行動記録が小さな救いになりました。「何もできなかった」と思っていても、記録を見返すと「あ、5分だけでも呼吸に意識を向けられたな」「ちゃんと薬は飲んだな」「お昼ご飯は食べられたな」と、意外とやれていることがあることに気づけるのです。

大きなことはできなくても、小さなことは案外できている。その事実を記録として残すことで、「やれていないこと」ではなく「やれたこと」に目を向けるきっかけが生まれました。

完璧な一日でなくても、ゼロの一日ではない。そんな風に思えるようになったのは、行動記録のおかげだと感じています。

悪夢の余韻や日中の不安から距離を取る

悪夢を見た朝は、しばらくその嫌な感覚が残り続けます。現実と夢の境界が曖昧になって、何だか気持ちが悪い。日中に襲ってくる不安も同じで、一度始まると頭の中で同じことをぐるぐると考え続けてしまいます。

ひどいときは、もうネガティブな思考に陥っていることすら気づかずに、世界に入ってしまうときも多いです。しかし、ふと現実に戻ったときにメモをします。

「今の状態を記録してみよう」と思って手を動かすことが、思考を別の方向へ切り替えるきっかけになりました。記録すること自体が、混乱した思考を整理し、感情と少し距離を置く行為になっているのです。
紙でなくてもスマホのメモ機能に音声入力してもOKです。自分に楽な方法を見つけてください。

「今、悪夢の余韻で気分が重い」「不安で胸がざわざわする」と記録するだけでも、その感覚を客観視できる。すると、「でも今はもう現実にいるんだ」「この不安もいつものパターンなんだな」と、少し冷静になれるのです。

記録すること自体が、反芻思考から抜け出すための小さな「儀式」のような役割を果たしてくれています。

行動記録は私の小さな「錨」(いかり)

行動記録は、決して魔法の解決策ではありません。これをやったからといって、悪夢が完全になくなるわけでも、不安がすっかり消えるわけでもありません。

でも、私にとってこの小さな習慣は、心が揺れる海の中で自分を支えてくれる「錨(いかり)」のような存在になりました。どんなに心が嵐の中にあっても、「今の私はここにいる」「今の私はこれをやっている」という事実を記録することで、自分という存在を見失わずにいられる。

記録する時間は、自分を労わる時間でもあります。「今日もお疲れさま」「よく頑張ったね」と、自分に声をかけてあげる貴重な時間です。これが一番難しいですが。

もし今、自分の状態が分からなくて苦しんでいる方がいらしたら、まずは1日1行でも試してみていただけたらと思います。完璧を目指す必要はありません。ただ、今の自分の状態を記録することから始めてみませんか。

小さな一歩かもしれませんが、その一歩が、きっとあなたの心に小さな安心をもたらしてくれるはずです。

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