奇跡の命を前にして
「ありがとう」という言葉は、「有ること」が「難しい」と書きます。
私たちがここに存在していることは、奇跡のように難しい、かけがえのないこと。ご両親があなたに繋いでくれた、その奇跡の命を、あなたは今、ご自身の全てで守っています。
それなのに、なぜ私たちは自分を責めてしまうのでしょうか。
「生産性」という見えない物差し
周りの人は立派に生きているのに、自分は何もできず、ただ生きているだけ…。
病気や心の不調で思うように動けず、社会の役に立っている実感もない。立派なキャリアを築いた親。活躍している友人。それに比べて、自分は何も生み出していない…。
特に、心や体が思うようにならない時は、その焦りや無力感が、重くのしかかってきます。
「こんなはずじゃなかった」 「もっと何かできるはずなのに」
その気持ちは、真面目で、一生懸命生きたいと願っているからこそ生まれる、切実な心の叫びなのだと思います。
私の場合
私はうつ病です。
最近誕生日を迎えました。母が亡くなった年齢は、来年の誕生日になります。こんなに若くて母が亡くなったと思うと、とても無念だったろうなと想像します。
それに引き換え、うつで何もできない自分が情けなく感じます。
亡き両親は立派に生きました。父は僧侶として多くの人を治し、癒し、導いてきました。母は立派に私を産み育てました。それに引き換え、何もしていない私は、病気で寝ているばかり。何も生産性もなく、生きているだけ。
とても無駄だと自分の人生を恥じます。
産んでくれてありがたいと思います。そんなに奇跡的な命をもらったのに、自分は何をしているんだろうと自責の念が募ります。
でも、気づいたことがあります
もしあなたが今、病気や心の不調と闘っているのなら。もしあなたが、ただ一日をやり過ごすことで精一杯なのだとしたら。
どうか、知ってください。
それは決して「何もしていない」ことではありません。
目には見えない場所で、あなたはご自身の命を守るために、懸命に闘っています。それは、誰にでもできることではない、本当に尊い営みです。
あなたの今の「役割」とは?
花が、何かを生み出すために咲いているわけではないように。ただそこに咲いているだけで、その存在が周りを和ませ、美しいように。
あなたの今の役割は、何かを生み出すことではないのかもしれません。
今は、ご自身を何よりも大切に、癒し、慈しむこと。それこそが、あなたにとって最も重要な「役割」なのです。
その命を、あなたは今、ご自身の全てで守っています。それは決して無駄なことなどではなく、何よりも尊いことです。
だから
自分を責めないでください。焦らなくて大丈夫です。
ただ息をして、光を感じて、今日という一日を終える。それだけで、あなたはもう十分に、素晴らしいのですから。
あなたは、あなたのままで、ここにいていいのです。
この記事は、かつての私のように、今まさにそんな苦しさの中にいるあなたのために書いています。
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